「アッシャア館の崩壊」(ポー)

「三人」の登場人物から「滅び」を体感すべし

「アッシャア館の崩壊」
(ポー/渡辺啓助訳)(「ポー傑作集」)
 中公文庫

「ポー傑作集」中公文庫

「アッシャー家の崩壊」
(ポー/巽孝之訳)
(「黒猫・アッシャー家の崩壊」)
 新潮文庫

「黒猫・アッシャー家の崩壊」新潮文庫

…そして私は烈しい目眩に
襲はれたかと思ふ間もなく、
巨大な壁は微塵に砕け散り、
百千の水の声の如き
騒がしい叫音が
永いことひゞいて、
さて私の足許の深く暗い沼は、
不機嫌に黙々と
「アッシャア館」の破片を
呑み尽くしてしまつた。

ポーの名作「アッシャー家の崩壊」の
最終場面です。
訳文のおどろおどろしさゆえ、
一般的な巽訳ではなく
渡辺啓助訳の方を抜粋してみました。
ポーのゴシック風幻想小説
(もっと単純にホラー小説)である
本作品、私は小学生の時代、
子ども向けにマイルドに訳したものを
読んだのが最初でしたが、
その衝撃はすさまじく、
「もう二度と読むまい」と
決意したほどでした。
大人になってからも
数回再読しましたが、
読む度にいろいろな恐怖が感じられる
素晴らしい作品です。
味わうべきは、
語り手「私」以外の登場人物から
「滅び」を感じ取ることでしょうか。

〔登場人物〕渡辺訳(巽訳)
「私」(「わたし」)
…語り手。
 旧友マデラインから招待を受ける。
ロデリック・アッシャア(アッシャー)
…「私」の旧友。アッシャア家特有の
 神経過敏症(治療不可)を患う。
マデライン・アッシャア(アッシャー)
…ロデリックの双子の妹。
 原因不明の病のため死に瀕している。
アッシャア館(アッシャー家の屋敷)
…アッシャア兄妹の住む館。
 すでに限界まで朽ちている。

本作品の味わいどころ①
ロデリックの崩壊間際の精神

何といってもまず味わうべきは
ロデリック・アッシャアの
崩壊間際の精神状態です。
ロデリック自身の気持ちは記されず、
「私」の目に映った彼の状況しか
描かれてはいないのです。
それはきわめて沈鬱な描写で
なされています。
「死人の如き顔色」、
「道義的精力の欠乏を語つて
ゐるやうな顎」、
「屍の如く蒼白な皮膚の色」、
「蓬々とのび」た「絹の如き頭髪」、
「手のつけられぬ阿片溺愛者なぞが
最もひどい興奮状態にある時に
発するやうな声音」など、
描写を脳内に画像再生すると、
亡霊のようなものしか
浮かび上がりません。

しかも、かつての親友とはいえ
数年ぶりの再会です。
「私」には彼の気持ちの詳細など
わかろうはずがありません。
だからこそ、
「私」の疑心暗鬼と不安が読み手にも
ひしひしと伝わってくるのです。
明るい気持ちになるだけが
読書ではありません。
小説を通して暗く陰鬱な感情を
覚えるのも読書の醍醐味の一つです。
ロデリックの崩壊間際の精神に触れ、
「滅び」を体感してみましょう。

本作品の味わいどころ②
マデラインの不可思議な病状

ロデリック以上に
まったく描き込まれていないのが、
その妹・マデラインです。
「私」はアッシャア館訪問の初日に
彼女を一目見ただけであり、
その日の晩には
命を落としてしまうのです。
不治の病とは
いったいどんな病気だったのか?
病状が悪化していたとはいえ、
屋敷内を一人で歩いていた彼女が
その数時間後に亡くなるものなのか?
結末まで読むと、
彼女は生きながら柩に収められ、
暗い地下室に
安置されていたことがわかります。
それは事故なのか、
あるいは意図的なものなのか?
なぜ来訪した「私」に悟られずに
処理しなければならなかったのか?
彼女と兄の関係は
一体どのようなものだったのか?
そこからは様々な疑問が
湧いて出て来るのです。
マデラインの不可思議な病状と
ロデリックの不可思議な行動の謎を
じっくりと考え抜き、
「滅び」を実感してみましょう。

本作品の味わいどころ③
アッシャア館の滅びの美しさ

登場人物は、
「私」・ロデリック・マデラインの
三人だけです。
しかし、私には舞台装置である
「アッシャア館」もまた
強烈な個性と魂を持った「人物」で
あるように感じられてなりません。
これまで読んだ訳文の多くが
巽訳同様に「アッシャー家の屋敷」という
表記でした。
しかし渡辺訳はあえて
「アッシャア館」としています。
欧米の小説に登場する家屋敷は
「○○館」という個性的な名前を
与えられていることが多いのですが、
それに習って単なる「屋敷」ではなく、
何らかの性格を持った
建築物としているところが
渡辺訳の魅力であり、
それによって作品に
新しい一面が見出されるのです。

事実、アッシャア兄妹の精神は、
アッシャア館と同期していたはずです。
作品冒頭の館の描写は、
そのあとに綴られるロデリックの
精神の描写と呼応している上、
最終場面でのアッシャア兄妹の憤死と
アッシャア館の崩壊は
一つの事象として
まとめられるべきものだからです。
アッシャア兄妹、アッシャア家、
アッシャア館、
それぞれの終焉を堪能し、
「滅び」を自らに同化してみましょう。

今日のオススメ!

さて、では語り手「私」の役割は何か?
その「滅びゆくもの」と
読み手を結びつける
霊媒のようなものなのでしょう。

今から180年以上昔の
1839年に発表された本作品、
「滅び」を描きながらも
決して「滅び」ることのない生命力を
保ち続けています。
一度は読んだことのある方が
多いと思います。
ぜひ渡辺訳でもう一度ご堪能下さい。

〔「ポー傑作集」〕
黄金虫 渡辺温 訳
モルグ街の殺人 渡辺温 訳
マリイ・ロオジェ事件の謎 渡辺温 訳
窃まれた手紙 渡辺啓助 訳
メヱルストロウム 渡辺啓助 訳
壜の中に見出された手記 渡辺温 訳
長方形の箱 渡辺温 訳
早過ぎた埋葬 渡辺啓助 訳
陥穽と振子 渡辺啓助 訳
赤き死の仮面 渡辺温 訳
黒猫譚 渡辺啓助 訳
跛蛙 渡辺啓助 訳
物言ふ心臓 渡辺温 訳
アッシャア館の崩壊 渡辺啓助 訳
ウィリアム・ウィルスン 渡辺温 訳
渡辺温 江戸川乱歩
春寒 谷崎潤一郎
温と啓助と鴉 渡辺東 著

〔「黒猫・アッシャー家の崩壊」〕
黒猫
赤き死の仮面
ライジーア
落とし穴と振り子
ウィリアム・ウィルソン
アッシャー家の崩壊

〔ポーの文庫本はいかがですか〕
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